2008年、40歳のときに番組中に首の骨を折り、首から下が麻痺状態になりました。自分で動かせるのは肘と肩と首から上だけ。家族はもちろん介護士さんや看護師さんにサポートしてもらっています。事故後、熊本・福岡の病院、大分の自立支援施設で約3年4か月にわたる治療・リハビリ生活を送りました。ときには気を失うほどの過酷な訓練もありましたが、仕事に復帰したいという強い思いが背中を押してくれました。
番組中の事故だったので、とにかく番組復帰して「ご心配をおかけしました。元気になりました」と伝えたかったのです。そして「な~んちゃって!」と車いすから立ち上がるのが夢でした。アナウンサーには欠かせない腹式呼吸ができなくなっていましたので、絵本の読み聞かせにも懸命に取り組みました。2011年、復帰を果たしたときは本当にうれしかったですね。現在は週4日の短時間勤務で、主にナレーション対応や後進の育成にあたっています。
大分で出合ったのが障がい者スポーツのボッチャです。東京パラリンピックでも注目されましたよね。目標とする白いボールに自分のボールをいかに近づけられるかを競うスポーツです。障がいの有無にかかわらず、誰でも一緒に楽しめるインクルーシブスポーツとしても人気です。当時、宮崎には競技としてのボッチャはなかったので、私と妻とで宮崎ボッチャクラブを創設し、2014年には有志6人で宮崎県ボッチャ協会を設立しました。現在は日本選手権や宮崎障スポに向けて活動しています。