じんけんインタビュー 柳田哲志さん

仕事中の事故により頸髄を損傷し、重度身体障がい者となった柳田哲志さん。過酷なリハビリと職場復帰、障がい者スポーツとの出合い、これからの社会に願うことをお聞きしました。

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柳田哲志さん プロフィール写真
リハビリを支えた職場復帰への思い障がい者スポーツとの出合い

2008年、40歳のときに番組中に首の骨を折り、首から下が麻痺状態になりました。自分で動かせるのは肘と肩と首から上だけ。家族はもちろん介護士さんや看護師さんにサポートしてもらっています。事故後、熊本・福岡の病院、大分の自立支援施設で約3年4か月にわたる治療・リハビリ生活を送りました。ときには気を失うほどの過酷な訓練もありましたが、仕事に復帰したいという強い思いが背中を押してくれました。

番組中の事故だったので、とにかく番組復帰して「ご心配をおかけしました。元気になりました」と伝えたかったのです。そして「な~んちゃって!」と車いすから立ち上がるのが夢でした。アナウンサーには欠かせない腹式呼吸ができなくなっていましたので、絵本の読み聞かせにも懸命に取り組みました。2011年、復帰を果たしたときは本当にうれしかったですね。現在は週4日の短時間勤務で、主にナレーション対応や後進の育成にあたっています。

大分で出合ったのが障がい者スポーツのボッチャです。東京パラリンピックでも注目されましたよね。目標とする白いボールに自分のボールをいかに近づけられるかを競うスポーツです。障がいの有無にかかわらず、誰でも一緒に楽しめるインクルーシブスポーツとしても人気です。当時、宮崎には競技としてのボッチャはなかったので、私と妻とで宮崎ボッチャクラブを創設し、2014年には有志6人で宮崎県ボッチャ協会を設立しました。現在は日本選手権や宮崎障スポに向けて活動しています。

誰一人取り残されずみんなが笑顔になれる社会を

自分が当事者になってみて、やはり健常者の方は障がい者の現実をほとんど知らないと思いました。私自身、初めて知ることが山ほどありました。妻と2人で知識ゼロのところから、病院や施設のこと、ベッドメイクの仕方、服の着せ方などを手探りで学んでいきました。だから皆さんにも、正しい知識をもって“自分ごと” として考えてみてほしい。誰一人取り残されず、笑顔になれる社会であってほしいと願います。

そのためには、差別や偏見など心のバリアをなくして、すべてがユニバーサル化された社会を実現したい。いろんな場所に講演で呼ばれますが、「障がい者の方にどう接したらいいかわからない」という声をよく聞きます。そんなとき私は「まずは挨拶でしょ」と答えます。障がい者であろうが健常者であろうが、人と人が出会ったら挨拶から始めるものです。それに「何かあれば声をかけてくださいね」と一言添えればいいのです。「配慮」と言われますが、私は「配慮」と言い換えたい。「これは難しいけど、これなら対応できるね」と障がい者と健常者が歩み寄り、お互いの合意の上で共生社会を作っていきたいです。

私自身は、仕事への復帰や障がい者スポーツとの出合いによって人生に再び光が差しましたので、同じように障がいのある方に少しでも夢や希望を与えられるような活動をしていきたいです。励まされるよりも誰かを励ます自分でありたいので。絶対に諦めず、ポジティブに夢を追い続けていきたいです。

ワタシノオシ!
映画鑑賞

日常の中で一番癒されるのは映画を観ている時間です。おすすめの作品は『リメンバー・ミー』『最強のふたり』『ロレンツォのオイル』『Coda あいのうた』『グリーンブック』『イエスマン“YES” は人生のパスワード』『ビッグ』などです。すばらしい作品との出合いが一番の活力になっています。